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2013年から2017年までのホームページver.2トップです。写真(Luxor)と説明(香港)が違いますが(w

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2009年8月のごあいさつ

5月にAJPCがあって、その後急に風向きが変わったのを感じる。

予定していたWSOPシニアに出るためラスベガスに行くことなどとてもできなかったし、そもそも8月末になろうというのにまともな休みすらとれない。ポーカーも、カジノも、旅行も、ゆっくり休むことすらできそうもないのは悲しいことである。

就職して最初の仕事(銀行である)の時は、外回りはあるけれども出張などほとんどなかった。10年勤めて、泊りがけの出張など数えるくらいしかなかった(研修はあったが、文字通り缶詰にされただけである)。全国に出かけるようになったのは今の職場に移ってからだけれど、それでも人数がいた頃は手分けしていたから月に何回もということはなかった。

それが今では、多い時では2週間に4回、3週間に5回といったペースで出張しなければならない。正直なところ、この歳になってこのペースはきつい。それでも自分なりにがんばっているのは、おそらくこれがサラリーマン生活の最後になると思っているからである。

若い頃から、節目というか、風向きが変わったのを察知する感覚はそこそこあって、それなりに世渡りに生かすことができたと思っている。今回の風向きの変化が自分にどのように影響するのか、またどう対応すればこの風向きを生かすことができるのかはまだ分からないが、何かをしなくてはならないのは確かなようである。

こうした場合に、風向きに逆らってもあまりいいことはない。けれど一方で、船の針路を変えるべき時にためらうべきでないことも、おそらく確かなのである。

[Aug 24, 2009]

2009年12月のごあいさつ

今年も早いもので12月になってしまった。

2009年を振り返ると、何と言っても公私ともにあわただしかった1年ということになる。年に30回以上も全国を飛び回ることになるとは思わなかったし、そのあおりで恒例のラスベガスWSOP遠征もキャンセル、マカオも春に1度行ったきりである。

おそらく、空間的な移動距離という点ではサラリーマン生活で最も忙しかった年であり、これが最後になるだろうという予感がある(当たらなかったりして)。就職して最初の仕事では時間的に大変忙しい思いをし、最後に近づいて空間的に慌しい思いをしたということになる。

そういえば約30年前、まだ就職する以前に、どういう仕事が自分に向いているかを考えるべき時にそうしたことを全く考えず、「高層ビルの上の方で仕事がしたいなあ」と思っていた。その報いは如実に現れて、転職また転職ということになってしまった訳だが、じゃあきちんと考えていればきちんとした人生を送れていたかというと、どうもそうではないような気がする。

自分に向いているのは「灯台守り」と前に書いた。灯台守りのいない現代ではおそらく「河川の水位とかを監視している人」ということになるだろうが、その道を選んだとすると、きっと今頃はダムの建設中止の後始末とかさせられていたに違いない。

「選んだように見えることは実は選んでいない。決まっていたのである」という主張はあまり賛成できなかったが、この頃はそうなんだろうという気がするから不思議である。

[Dec 5, 2009]

2013年3月のごあいさつ・一歩前進

早いもので、前回このコメントを更新してから1年が経過してしまった。いつまでも残しておくと、「放置HP」と思われてしまうので、近況について書いてみる。

昨年の今頃と比べると最もステイタスが改善したと思われるのは、住宅ローンを除いたローン、クレジット、分割・リボルビング等々をすべて完済したことである。最後に残ったのは、恥ずかしながら墓石のローンであったがこれも払い終り、あとは住宅ローン(これが半端でないのだが)だけになった。

住宅ローンには生命保険という側面があるし(団信生保といって、死亡保険金でローンを完済する仕組みがある)、値下がりしている住宅価格と同じくらいまで残債も減ってきているので、これは気長に返していくしかない。いよいよ、人生の最終コーナーにかかってきたなという雰囲気である。

若い頃から収入より支出の方が大きくて、社会人になって以来ローンやクレジットで何とか生活を回してきた。ところが最近では、クレジットカードはJALのマイルを貯めるために使うようなもので、その分の現金はすぐ口座に入れておくくらいだから、われながら大したものである。

クレジット関係の整理と軌を一にして、ワインの在庫や、うどん・そば類、米・みそ類の在庫も適正水準(というのかどうか・・・)にある。ワインなどは、自宅のワインセラーとエノテカのレンタルセラーで合計約50本。1年間は持ちこたえられる。

昔読んだ中国の古い話に、今日明日食べるごはんと、雨風しのげて寒くない家と着るものがあり、家族そろって健康であれば、それ以上に望んではいけないというものがあった。「今日明日」というのが大事なところで、それ以上先のことを心配してもきりがないのである。その意味で、昨年よりは一歩前進を感謝したい。

[Mar 7,2013]

2013年11月のごあいさつ・模様替え

ふと思い立って、ホームページをリニューアルしてみることにした。

考えてみれば、2005年に開設して以来、コンテンツは増やしてきたけれど見た目はあまり変えないままだった。いつのまにか、あかぬけない感じが際立ってきたこともあり、フリーサイトから見た目のよろしいのを拾ってきて、しこしこ作り始めた。

ところが、やり出したら止まらない性格である。ほぼ2日間、他のことを後回しにして集中。とりあえずトップページは模様替えすることができた。

自分では結構気に入っている。奥さんに見せたら、ラスベガスの写真よりセナド通りの方がいいと言われた。写真はいつでも替えられるのでデザインを見てほしかったのだが。

最近、定年後の生活とかに関心が高まってきたし、もともと多趣味なものだから、暇を見つけてはいろいろなサイトにおじゃましているのだけれど、見づらいサイトが多いと感じる。ブログというツール(niftyのココログは10周年だそうだ)は気軽に発信できるけれども、記事が多くなったときにバックナンバーを探すのが大変だ。

私の場合、自分のサイトを自分で読むことが多いので、その意味でも見やすくするのは気持ちがいい。問題は、せっかく検索サイトで上位にくるコンテンツもあるので、いまの構造を変えないままでリニューアルしなければならないということである。いろいろと頭の使いどころである。

いずれにしても、長く続けるということは、それなりに意味があることのようだ。

[Nov 30, 2013]

2013年12月のごあいさつ・模様替え(続)

模様替えは順調に続いている。

最初は、トップページと各ジャンルの一覧ページだけのつもりだったのだけれど、各記事のページを直し始めたらきりがなくなった。何しろ、書きためたコンテンツの件数が1000件近くにのぼるのだから半端ではないのである。

>書いてから時間がたっているものはひとまず現状のまま置いておくことにしたが、そうなるとカシノとかポーカーが古いままになってしまう。まあ仕方がないと思うけれど、ちょっと寂しいことでもある。

こうして模様替えをして思ったのは、1年が365日で1日が24時間というのは、誰であってもどういう環境でも変わらないんだなという当り前のことであった。

ごはんは1日3回だし、9時間以上寝るのはかえって難儀である。だから、海外に行って遊ぶのも、古墳や山に行って遊ぶのも、1日を楽しく過ごすということでは同じことかもしれない。空の上で1000km移動するのも、1時間に1本のバスを待っているのも、交通機関を使うという意味では似たようなものだ。

いろいろなことに興味を持って楽しむことができるというのは、自分にとってかなり役に立つ才能なのではないかと自画自賛している。

[Dec 27, 2013]

2016年1月のごあいさつ・新展開に向かう

定年が1年半ほど先に迫っているのだけれど、それを待たずに新たな生活に踏み出す機運が日に日に高まってきているのを感じる。

身の処し方として私が理想としているのは、「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンである。宿敵ジャべール警部に追われてパリ市街を逃げ回り、偶然に修道院の敷地内に逃げ込んだジャン・バルジャンは、そのまま十数年を修道院の下働きをして過ごすのだ。

その修道院には偶然、昔、ジャン・バルジャンが馬車の下敷きになっているところを助けて、たまたま修道院の下働きをしていたフォーシュルバン爺さんが働いていたのである。爺さんはジャン・バルジャンを「弟」と偽って、修道院の下働きとしてかくまったのである。

ジャン・バルジャンはその修道院で十数年を過ごし、フォーシュルバン爺さんが死んでから、「一人でこの仕事を続けるのは体がつらいから」という理由で修道院を出た。転機というものは、そうやって向こうからやってくるもののようである。

職場なんて、自分の持ち物でない以上は、いつかは離れていくものである。いる間はベストを尽くして組織が優れたパフォーマンスをあげられるよう努力するけれども、自分がいなくなってどうなろうとそれは組織の自由である。いずれにせよ、不滅の組織なんてものはない。いつかは滅びる。

村上春樹はそのことを「曲が流れている間は、踊るんだ。足が止まってしまったら、おいらにはどうすることもできないからね。」と言っている。私も、自分で嫌にならない程度には踊り続けることができるだろうか。

[Jan 18, 2016]

2016年5月のごあいさつ・亀の甲より年の功

いつの間にか、60歳まであと1年を切っている。定年までもう少しとか年金生活とか書いているくらいだから当り前なのだけれど、自分がそんな年齢になったとは思わないのはいかがなものだろうか。

若い頃は、新しいことをしようとすると、その構想段階から不安になって仕方がなかった。いま考えるとおかしいのだが、突然病気になったらとか、いよいよ食べるに困ったらとか本気で心配していたのである。幸いに、そうした事態にはならなかった。ありがたいことである。

心配していろいろ準備したから何事もなく済んだのか、そもそも「びびり」だったのかは今となっては分からない。ただ一つ言えるのは、心配したりくよくよしたことまで含めて経験だったということだろう。

さて、定年の年齢を迎えて、久し振りに生活リズムが変わる時期が目前に来ている。以前のこういう時期から20年も30年も経って、あまり動揺せずに日々を過ごすことができているのは、年の功だろうか。長年自分と過ごしてきて、最高の判断はなかなかできなくても最悪の判断はしないだろうと多少の自信はある。

前回この欄では、身の処し方についてジャン・バルジャンが参考になると書いたが、実在の人物で一人あげるならば范蠡(はんれい)である。太平記で「時に范蠡無きにしも非ず」と書かれている中国古代の政治家・軍人・商人であるが、彼の功績により越が呉を滅ぼし、これから長年の苦労が報われるという時に、范蠡は越を離れて引退するのである。

自分は組織に功績があったからそれだけの報酬があってしかるべきだなどと考えていたら、「狡兎死して走狗煮らる」になってしまう。たとえ商売で成功するという成算がなくたって(その後商人となって大儲けしたと史記に書かれている)、命あっての物種。新天地で自分を試す他はないと考えたのである。

このとき、彼がかつて呉王夫差を陥れるのに後宮に送り込んだ「ひそみにならう」中国四大美女の一人・西施を伴ったという説もある。かつての美女もすでにいい年だったはずで(呉が越をいったん滅ぼしてから逆に滅ぼされるまで20年である)、結構いい話である。

実際、後から考えてみると生きて新たなステップに臨むことができるだけでも儲けもの、ということになるのかもしれないし、ならないのかもしれない。いずれにせよあと何十年も生きていられる訳ではないのだ。

[May 29, 2016]